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日常を味わい尽くす

NATURAL

ある二人の男がいました。彼らは同じ村で生まれ、育ちました。
一人の男は村を出て、世界中をめぐる旅をしました。あらゆる国をめぐって、あらゆる景色を目にしました。世界には様々な人種がいて、一つひとつ違う言語、習慣、文化を持っていました。世界中の珍しい食べ物を食べ、珍しい風景を眺め、違う文化を持った人に出会いましたが、彼は生涯定住せず、生まれた村とは違う場所で死にました。
もう一人の男は村を一生出ませんでした。その代わり、村のことであればあらゆることを知っています。村の隣人が何に喜び、何に泣くのか、裏の山には何が生え何が食べれるのかを知っています。彼は自分の祖先が何者かを知り、彼の子孫は何人もいます。彼は、彼をよく知るものに囲まれて、死にました。
彼らはどちらが幸福だったのでしょうか。もちろん、極端な例であることは、承知しています。ただ、人生の価値を考えるのには良い例だと思います。私も大学の授業でこの話を聞きました(昔の話なので、細かいところは違うと思います)。何の授業でかは忘れましたが、この話だけはなぜかずっと覚えていました。
皆様は、この二人の男のどちらに近いでしょうか。多分、二人の中間ぐらいの方が多いのではないでしょうか。そして、少しだけ世界を旅した男よりの方が多いかもしれません。現代の価値観は、どちらかというと世界を旅した男に近いかと思います。世界中のあらゆるものに触れてみたいというのは、現代ならば少し頑張れば叶うので、欲求としては大いに刺激されます。
しかし、一生村で生きた男の価値観というのも見直されてもいいと思います。家族と過ごす時間を大切にするというのは、村で生きた男の価値観です。コロナ禍でそれを実感した人も多いのではないでしょうか。
村で生きた男は、目の前にあるものの良さ、というものをとことん再発見し、味わい尽くす。世界を旅した男では、感じることができなかったであろう深さで、ものごとを感じることができたのだと思います。家を建て、庭をつくるというのは、村で生きた男の価値観です。日常を味わい尽くす、そういう幸福の形もあると思います。


統一性のある複雑さ

最近、家にいることが多いので、コーヒーにお金を使って見ました。いつものコーヒーの10倍高いものです。しかし、買って後悔はしません。違う世界が見れるからです。いつものコーヒーは、苦い水であり、カフェイン摂取のために飲みますが、10倍高いコーヒーは香りからして違います。飲んだら苦味や酸味、甘み、旨味がいろんな方向から刺激してくれます。それはカオスではなく花束のようにまとまった形でやってきます。良いものは、複雑でありながらも、一つのまとまったものとして感じられます。ワインやインテリアも同様です。統一性のある複雑さ、私たちのつくる庭もそうありたいと思います。

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